大阪生活

大阪生活の記録

フィルムカメラで写真を撮る

仕事とうまく向き合えない日々が続いている。ちょっと前までは自分のアクションが素直に成果に結びついていたから、単調な事務処理も商談も「結果を出すための準備」と捉えていた。以前より仕事の幅が広がったのと、少しだけ高い場所から仕事を見通せるようになったからか、うまく行動に移せないことが増えた。

関わっている人が多すぎる案件は、どう動いても社内外の軋轢を生んでしまう。最適解のはずが思わぬ所から不満の声が上がることも多い。部署的に仕方ないとは言え、営業は板挟みになることが多くて気が休まることが少ない。

一通りやれることは終えた上で先日北海道に行ってきた。日に何度も鳴り続ける社用携帯を右のポケットに忍ばせながら、できるだけ沢山写真を撮った。何をしていても携帯が震える度に不安になり、内容を直接確認するまで不安はどんどん膨らんでいった。携帯を右のポケットからバッグの中に移しても不安は変わらずいつまでも付き纏い、仕事というものはこうも精神に影響を及ぼすものなのかと気づいた。

仕事において主体的に動くことは苦じゃない。自分で何かを発掘して、主導権を持って進めることのできる仕事は好きだ。けれど権力者達の面子を保つために汗を流し、やがて重箱の隅を突くような指摘を受け、仕方なく訂正するうちに時間は流れ、客先に迷惑をかける仕事もある。若手のうちは仕方ないとは言え、やっていて気持ちの良い仕事ではない。

話を元に戻したい。旅先にはコダック2本、フジ1本の合計3本のフィルムを持って行った。4泊のうちに全て撮り切ることができ、現像自体も数日のうちに終えることができた。

今こうしてフィルムで撮影した写真を見ていると、一枚一枚丁寧に撮るからかデジタルより打率が高いように思えてならない。もちろん逐一露出計を使ってマニュアルで撮影してる分、構図やシチュエーションに力が入るのも理由の一つだろう。気軽にシャッターを切れるデジタルとは違い、それとも金のかかるフィルムカメラを持つと背筋が伸びるから?f:id:osakajazzlife:20190801113734j:image

フィルムカメラの一枚目はこうなることが多い。本来は数回シャッターを切ることは知っている。正直、こういう写真は嫌いじゃない。f:id:osakajazzlife:20190801114039j:image
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今回持ち出したのは60年代のカメラ。レンズは35mmと50mmの2本だけ。これはきっと東京五輪の頃に誰かを誰かが撮ったカメラで、きっと2020年の東京五輪の頃にも僕が誰かを撮るカメラになる。f:id:osakajazzlife:20190801114510j:image

泊まったホテルに併設されていた安藤忠雄の「水の教会」に行ってきた。結婚式の会場にも使われるみたい。外観も内観も(当たり前だけど)コンクリート打放しで冬は寒そう。けれど天候を問わず心を落ち着かせてくれるような建物だった。

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夜になるとトマムではあちこちで焚き火が始まる。火を見ながら食べたり飲んだり、何もせず時間を過ごせるのは最高の贅沢だった。でも次は電波が届かないような場所に行きたいかな。仕事を忘れて身体と心を休めたいので。

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この4枚は6Dで撮った写真。すごく綺麗だ。これでもいい気がしてきたけど、フィルムが上がってきたときの感動は忘れられない。悩む。写真はやめられない。