大阪生活

大阪生活の記録

3度目の忘年会

東京の仕事のついでに忘年会に参加してきた。忘年会といっても駿台時代の友人達で集まってただ食べて飲むだけ。少々特殊な学校を出ているので、各々の肩書きが結構な頻度で変わるのが面白い。2017年に開催された初回は立教大の近くの飲み屋で、18年は東急ハンズの近くの飲み屋、そして3年目の今回は各自の勤め先や所属している研究室の中間地点(?)である新宿で行われた。基本の参加メンバーは8人だが今年参加できたのは5人で、各々仕事の都合で地理的・時間的に集まれない人が3人いた。そのうちT.K氏はリモート参加で参加してくれて楽しかった。K.H氏は千葉?でY.S氏は岐阜だった。

尤も彼らの進学先は一人を除いてみな首都圏で、就職先もほぼ首都圏のため勤務地で言えば僕が一番遠いが、Y.S氏が中国・四国地区に飛ばされる可能性も出てきたため俄然緊張感が高まった。元々各位優秀な人間で地頭は良いはずだという話で盛り上がり、予備校時代の自分が見たら泣くぞと口にしたのはH.S氏。参加者の全員が彼の意見に賛同し、しばし目の前の酒に静かに向き合った。T.Y氏は相変わらず楽しそうな人生を送っていて羨ましかった。A.M氏は誰よりも歳をとっていたが、彼に言わせれば我々は高校時代から全く見た目が変わっていないのだという。人並みの人生経験を積んでいないからか、我々は未だに幼い見た目をしているのかもしれない。

新宿三丁目付近で解散ののち、K.I氏から連絡を受ける。駿台以外のメンバーでも集まらないかという誘いだった。すぐに打ち合わせを行い、20年の3月以降で一席設けようという話がまとまった。僕の狭い交友関係の中でも決して少なくない人間が後期博士課程に進んでいる関係上、向こう2年間は学生として集まりに参加する人間も存在する。2021年ないし22年、東京五輪が終わり正真正銘のアラサーとなった我々はどんな立場にいるのかが楽しみだ。