大阪生活

大阪生活の記録

ヴィダル・サスーンとの出会い

ヴィダル・サスーンを知っているだろうか。ヴィダル・サスーンは高級なシャンプーだ。この世の中のシャンプーはメリットとダブとアジエンスしか存在しないと思っていた男が、初めてヴィダル・サスーンに出会ったときの衝撃たるや。

これはぼくが16歳、高校1年生だった頃の話。学校祭の準備期間で高校に泊まり込んでいた頃、ぼくの世界は吹奏楽とアニメとラノベで構成されていた。朝から殺人的に暑い生徒ホール(部室)で合奏練習をして、それが終わったら校門近くの楠の近くで木を切って組み上げる作業に没頭していた。作業は深夜まで行われ、名も知らぬ老人(自称高校OB)から差し入れられたアイスや菓子パン、アクエリアスやカルピスソーダをがぶ飲みする日々。

そんなある日、学校の合宿所の風呂に入ったときのこと。比較的新しい合宿所にはそこそこ綺麗な大浴場があった。その日の作業が一段落ついたので、ぼくは友人と風呂へ向かった。男しかいない大浴場である。そこには蛇口の近くに置かれた赤いシャンプーとリンスがあった。正確には動脈血と静脈血みたいな色のボトルが2本、いかにも雑に並んでいた。

確かあの当時は坂本龍一の曲が流れてる「ASIENCE」のCMがガンガン流れていた頃だったので、パッケージの高級感からアレに近いシャンプーじゃないかと推測した。これで髪を洗うと髪がサラッサラになって艶めく男になれるんじゃないか、どうせもとを辿れば我々の学費なので遠慮せずに使ってやろう。でも実際そんなに変わらないだろ。

髪を洗っているうちは別段メリットと変わらないじゃないかと思っていた。確かに香りは良いけどたったこれだけの差かよ、と。しかしシャンプーを洗い流した瞬間、未だかつてないほどの柔らかな髪がそこにはあった。

これが世界か、と敗北感を覚えた。ただシャンプーを変えただけなのに、髪が乾いてからもサラサラ感は失われず、なんかいい匂いはするし髪はサラサラになるし、キマっちゃってるよ俺、ってなった。とりあえず前髪を立たせるために買ったGATSBYのピンク色のワックスをこっそり付けてみたりした(でも高所作業用のヘルメット被ったら最悪になった)。

ヴィダル・サスーンのお陰で合宿中は髪が異常にサラッサラだった。風が吹いたら間違いなくいい男になっていた。ヴィダル・サスーンで髪を洗ったぼくは、垂木を切るのも以前より少し速かったと思う。今日はたくさん汗をかいた、でも風呂に入ればヴィダル・サスーンが待っている。明け方4時に風呂に入ったときも、ヴィダル・サスーンで汗ばんだ髪を洗った。泥のように1時間半眠り、また木を切った。

やがて合宿が終わり、学校祭が終わり、ぼくの16歳の夏も終わった。家に帰り、親にヴィダル・サスーンの良さを伝えた。それを聞いた親はコストコヴィダル・サスーンを買ってきた。その後しばらくの間、山田家のシャンプーとリンスはヴィダル・サスーンだった。しかしいつの間にかヴィダル・サスーンの皮を被ったダブになり、そしていつの間にかヴィダル・サスーンの容器すら無くなり、静かにヴィダル・サスーンは終わっていった。

そしてあれから10年が経とうとしている今日、ぼくはシャンプーとリンスを近くのドラッグストアで選んでいる。使っていたシャンプーが無くなり、シャンプーだと思って使っていたモノがリンスだということに気づき、リンスとボディーソープを混合して使っていたが早くも限界を感じたため、ぼくはドラッグストアの棚の前を行ったり来たりしている。会社帰りのサラリーマンが女性向けシャンプーのコーナーをウロウロしている光景はあまり想像して欲しくない。

あの頃のようにヴィダル・サスーンを買ってみようかと思ったが、残念なことにその店にヴィダル・サスーンは売っていなかった。目立つ棚にはやたら高いBOTANISTとかいうシャンプーが並んでいるーそれも何種類も。香りが違うとかフキダシには書いていたが、鼻を近づけて匂いを嗅いでみる勇気は無かった。値段と大きさをぼんやりと眺め、無駄に長い時間逡巡した結果、手に取ったのはLUXだった。

家に帰り、買ってきたLUXを風呂用のバスケットに入れる。そこにはボディーソープとシャンプーと勘違いしたリンスが既に並んでいる。LUXはやや背が高く重量もあるので、普段感じたことのない幸せの重みを右手に感じつつ寮の大浴場へと向かった。エレベーターを使って1階まで下り、7秒で服を脱ぎ、シャワーを浴びる。容器のポンプディスペンサー(押すとこ)を一周くらい回して2,3回押す。そうしてデザイン性の高いLUXの容器から出てきたシャンプーは綺麗な金色だった。

髪を洗い、あの頃のようにシャワーを頭から浴びる。ああ、そうだこの感覚だ。髪がサラッサラになっていく。魂が浄化されていく。なんだかいい匂いがする。これが世界か……あの瞬間、確かにぼくは高校生に戻っていた。

あの頃のぼくとは違い、今日のぼくは自分で稼いだ金でシャンプーとリンスを買っている。時間が経つのは恐ろしく早く、そして世間は驚くほどの早さで変化していく。あのころ全盛期だった前略プロフmixiは鳴りを潜め、流星のごとく現れたFacebookTwitterInstagramに席巻されつつある。しかし、良いシャンプーを使った瞬間の感動は決して色褪せることはない。ぼくがあと10年経っても20年経っても、きっとヴィダル・サスーンを使う瞬間は永遠なんだ。

ヴィダル・サスーン