大阪生活

大阪生活の記録

本を読む(2)

そろそろ平成が終わるらしい。ぼくが生まれたのが平成4年で、今年は平成30年。来年、つまり平成31年の4月末で平成が終わるらしい、するといずれぼくの生まれた平成は、明治時代や大正時代みたいに「平成時代」と呼ばれるようになる。「平成生まれ」ってのは今では若者を指す言葉だけど、いずれは年老いたおっさんおばさんのことを指すようになるんだろうな。

なんでこんなことを書いたかというと、この前行ってきた松本の古本屋で「昭和時代回想」という本を買ったから。今検索してみたら同じくはてなブログで言及してる人がいたからリンクを貼っておくよ。

この表紙と名前に釣られた。一本釣りされた。この本屋では全部で文庫本を5冊買ったんだけど、そのうち最初に読もうとして手にした本がこれ。まず第一に表紙がいいよね。入道雲って夏っぽいしどこか懐かしいから好き。

話は脇道に逸れるけど、「サマーウォーズ」とか「ウォーターボーイズ」、「時をかける少女」みたいな青春モノの舞台は夏が多い気がする。夏ってのは薄着になって開放的になれるし、花火だったりプールだったり祭だったり、友人や恋人と遊ぶには事欠かない季節だよな。初夏の東京を恋人と歩いて、ちょっと高そうな喫茶店に勇気を出して入って、案外良心的な値段のコーヒー一杯で2時間くらい粘ったり、浴衣を着た気になる子の姿を見てドキドキしたり。ああ、もう青春って羨ましい!

でもみんながみんなあんなに印象的な夏を過ごせるなんて不可能で、かなり多くの人々はああいう理想化された「夏」を、ドラマや映画で描かれているような「夏」を過ごせていないんじゃないかと思う。ぼくだって高校の美人の先輩の恋人役に選ばれて、実家に案内されてなんだかんだ親戚一同と協力して世界を救いたかった。男子校に入ってアホなノリでシンクロやって、隣の女子校の子と付き合いたかった。

でも結局あれはどこまでいっても物語。だから人は入道雲を見ると、自分が成し得なかった青春に思いを馳せて、少しだけ悲しいようなそれでいて懐かしいような気持ちになるんだと思う。知らんけど。

話を元に戻す。ぼくは昭和生まれではないのでこの本に書いてあることを完全に理解することはできないだろうし、懐かしいような気持ちになることもあまり無いと思う。筆者は1970年、全共闘が元気だった時代に四ツ谷の大学に通っていて、講義をサボっては喫茶店や映画館に通い、ちゃんと大学を留年したという。ぼくからしてみたらいろいろな意味で刺激に満ちた時代と青春時代がしっかり重なっていて、とてもとても羨ましい気持ちになる。けど本人はそう思っていはいないらしく、くだらない青春だったと書いてある。

昔、「ミッドナイト・イン・パリ」という映画を紹介してもらったことがある。ウディ・アレンが監督を務めた作品で、パリを舞台に過去と現在を行ったり来たりする物語。アカデミー賞脚本賞を受賞した名作なのでみんな見てね。

今より昔のほうが良かった、今のパリより20年台のパリのほうが遥かに魅力的で活力に満ちていた、って心から思ってる脚本家が主人公。細かい描写は抜きにして、ノスタルジーに憧れる人ってのは本当に救いようがないなと思った。新しいものが好きな人、今が好きな人と違って過ぎ去ったものしか愛せない人はどうあがいても幸せになれない。50年前に生まれたかった、そうしたらジャズの偉人たちのプレイを目の前で見ることができたのに……とか、まだあの地方に蒸気機関車が走っていた風景を見れたのに……とか、永遠に叶わぬ夢ばかり見続けて死ぬ。まあそういう性格なんだから仕方ない。そういう人は世界に絶望して、アンティークショップとか名画座に通いつめて、嫌になるほど煙草を吸い、そのせいで肺を悪くしてしっかり税金払って早死にするから多少なりとも世界の役に立っていると思うよ。

まあそんなこと言いつつ、人はどこかしら昔は良かった、昔のほうが良かったって考えることはあるんじゃないか。ぼくはそう思う。ぼくは平成生まれで、やっぱり昭和に生まれたかったって考える事は稀によくある。この本の筆者みたいにジャズ喫茶全盛期の70年前後に、欲を言えば御茶ノ水周辺の大学の文学部に通う学生になりたかった(日大とか明大とか。流石に東大とまでは言わない)。まあでもあの時代を生きてきた人にとってはあくまでも日常の風景で、彼らにとって見れば戦後のわちゃわちゃした時代が魅力的に感じていたかもしれないし、それこそ大正時代に生まれたかった、書生っていいなぁってぼんやり考えていたかもしれない。

昭和は64年間続いた。その間には第一次世界大戦世界恐慌があり、関東大震災第二次世界大戦があり、原爆が投下されて戦争が終わった。戦後のわちゃわちゃから高度経済成長っていうこれまたわちゃわちゃした時期があり、新幹線が開通し東京五輪が開催され、大阪万博と時を同じくして学生運動が最高に盛り上がり、バブルでGOGOしているうちに気づけば平成がやってきた。そんな平成も間もなく終わろうとしている。ぼくの生まれた平成がやがて歴史になり、2019年5月1日以降に生まれた人たちがやがて大人になり、我々の世代には理解出来ない言葉を使い、ぼくから見れば目に余るような行動をすることになるだろう。彼らにとってみればぼくはただのおっさんで、古い考えしかできないしょーもない人間に映るんだろうな。

まあ話はだいぶ膨らんでようわからんことになったけど、やがて終わりゆく平成時代を大阪で仕事しながらぼんやりと見るのも悪くない。でも次の時代が来るまでに、ある程度は平成以前の「昭和」について知っておきたいなと思ったのでこの本を買った。今はまだ全体の3割くらいしか読んでない。読み終わったら何かまた文章を書くかもしれないし、大して面白くなかったら今後一切この本のことは口にしないかもしれない。まあどうなるかは読んでみないと分からないからね。とりあえずこの本は、明日の宿で読むために鞄の中に突っ込んでおきましょう。