大阪生活

大阪生活の記録

早起き feat.江戸時代

平日は6時半から7時の間に目を覚まし、とはいえこれは出張先のホテルに宿泊している場合は除くのだけど、8時15分前後に会社に到着する。一方の休日は朝から予定を入れていることは無いと言っても過言ではなく、結果として9時頃に目を「開ける」ことも多い。でも無理矢理予定を入れればちゃんと起きれる。

「早起きは三文の徳」という諺がある。既に室町時代後期には似たような表現が確立されていたらしい。実際に世間的に広く使用され始めたのは江戸時代の寛永*1だとか。寛永期には庶民(=ここでは江戸に準ずるような大都市の職人や商人のこと)の生活は相当の朝方であり、日が出る頃から働き始めて昼過ぎには仕事を終えるといった、現代の日本人からしてみれば羨ましいようなそうでないような働き方をしていたことはよく知られている。今でもドヤ街では見ることができる朝のあの風景*2、つまり日雇いの人間をその日の朝に確保するという習慣もこの頃から始まったという。

親方としては想定していた人数ちょうど集まるのがベストで、労働者としてはなるべく晴れて*3そこまで暑くない日に生きるのに必要なだけそこそこ働きたい。いつの間にか両者を仲介するための業者が現れた。今日のリクルートのような存在*4だと考えて良い。リクルーター

  • 当日の天気(前日の空模様から想定)
  • 労働者の体調(朝起きて確認して回る)

  • 当日の報酬額(幕府関連の仕事は比較的高収入だとか)

  • 当日の想定労働時間(前日に現場を視察&親方に確認する)

という点を確認するため、まだ日も出ていない時間から走り回ることが必要だった。しかし彼らの存在によって、親方も労働者も必要以上の心配をしなくて済むようになった。リクルートはその働きを認められて、親方から金を貰って労働者を集めるようになった。しかし不思議なことにリクルーターが労働者1人を集めることで親方から渡される手数料は約30文*5だった。興味深いことに「早起きは三文の得」の三文は、「労働者が手にする金額」であったことが近年の研究で判明している。

つまりどういうことか。親方からリクルーターへ渡る30文のうち、リクルートはまず

  • 求人業務の下請業者を募集し、1人獲得する毎に10文を下請へ渡す
  • 次に下請業者は上記の4点を朝方から確認、さらに自分を通せば一日あたり3文余分に賃金を得ることができることを説明する
  • 結果として職人は当然リクルートの下請を利用し、親方リクルート下請け業者労働者皆幸せ

という事実があった。つまり「早起きは三文の得」はあくまで我々労働者の目から見た風景であり、リクルートや下請は労働せずにそれ以上の収入を得ており、まるでどこかで見たことのある構図が寛永期には既に出来上がっていたことに驚きを隠せない。

そう、こんなことを考えていたらもう8時だ。7時過ぎから書き始めたのにあっという間に時間が経ってしまった。マジでブログは時間の無駄だ。もっと有意義に朝を過ごしたいのですが、どなたか有意義な朝の過ごし方を教えていただけないでしょうか。

*1:「そばと早起き 江戸の庶民の金銭感覚」民明書房 鈴木輝彦著

*2:釜ヶ崎の朝」 六波羅短大出版 芦屋悟著

*3:晴れた日は気持ちが良いので

*4:当時は裏括:りくると呼ばれていた。表立って募集している求人含めありとあらゆる求人は、ほぼ裏括が仲介していたとの考えもある

*5:「裏括の謎」 民明書房 荒川洋平著