大阪生活

大阪生活の記録

社会人5年目が千と千尋の神隠しを見た

千と千尋の神隠しを劇場で観てきた。この作品を社会に出てから観たのは初めてかもしれない。公開当時は映画館になど行かず、録画されたビデオテープを祖母の家で観た記憶がある。

立場が変われば抱く感想は変わると聞いていたが、千が油屋で働かざるを得ない状況に追い込まれ、無事職を得てから円満退社(?)するまでの経緯はまさに自分が入社してから今日に至るまでと重なる面が多く、自席で静かに感動を覚えていた。

新入社員は歓迎されているとはいえ、最初の印象でその後の人生は大きく変わる。千は幸い第一の関門(釜爺)、第二の関門(湯婆婆)何れも突破して職を得ることができたが、身の振り方一つで湯婆婆に石炭に姿を変えられた可能性も、そもそも釜爺に追い返されて命を落とす可能性もあった。真っ黒くろすけの心を掴むことで釜爺を半ば無理やり味方につけ、坊のドタバタに紛れて契約を勝ち取った。

恐らく千は職を得てから豹変したリンの態度に驚いたに違いない。自分の期待を裏切らずに無事戻ってきた千に、リンは一目置いたのだろう。彼女は千の良き先輩となり世話を焼いてくれるようになった。彼女の元で苦労しつつも仕事を覚え始めた頃、千のもとには大きな障壁が立ちふさがる。オクサレ様と思しき客の世話を押し付けられた彼女だが、自ら血を流し(=泥まみれになりなりながらも機転を利かせ)期待以上の成果を上げることによって周囲に自分の存在を認めさせた。

組織で生きていくには周囲にマイナスのイメージを持たれないことが第一で、その上で任された仕事で血を流すことが必要だ。また各々が組織の中における自分の役割を理解し、その枠組みから逸脱しないような役割を演じることは千にとって当初理解できなかっただろうが、OJTを通してその不文律を感じ取ったに違いない。組織のトップである湯婆婆でさえ、千の活躍はいい意味での誤算だったはずだ。

油屋において銭婆は恐怖の象徴のような存在だが、それは湯婆婆がそう信じ込んでいるからであり、彼女の元で働く人々は一次情報に当たることができず、そう信じることしかできない。一方の千は別の情報源(ハク)を独自に持っていた。

生きる上で最善の行動を取るには、周囲に流されずに自分の使命を常に心のなかに留め、周りにはそのことを悟られずに密かに火を燃やし続けることだと思っている。そのためには社内外の立場を超えた正しい情報を得るためのルートを複数確保することが必要だ。千はハク以外にもある種のキーパーソンである釜爺をしっかりと抑えていたため、リン含め一般社員には実現不可能だった油屋を出るためのチケットを手にすることができた。

終盤では千はカオナシというアウトサイダーを招き入れたことへのケジメを付けるため、自ら単身(?)銭婆へ会いに行く。ミスを犯した人間は自分で自分のケツを拭く、当たり前の行為だが実行できる人間はそう多くない。彼女は最重要人物である湯婆婆に嫌われるリスクを取り、一方通行の沼の底へ向かう。そこでカオナシと円満に別れることに成功し、ハクの名前を思い出し、最終的にはおよそ関係者全ての人生を良い方向へ変え、湯婆婆の試練をも乗り越えた。すごすぎるぞ千尋

与えられた環境下でチャンスを掴み取り、通過儀礼を乗り越え、周囲の期待に十二分に応え、自分のケツは自分で拭き、関係者の信頼を得て目的を達成した彼女。入社時の研修でこの映画を見るべきだったとさえ思っている。昔はハクの態度の変化が納得できなかったが、今なら理解できる。

一度懐に入り込めば、窮地に陥ったときも立場を超えて救いの手を差し伸べてくれる存在の大切さよ。彼が千尋と別れた後どうなったかは知る由もないが、彼にとって千尋は命の恩人であり、生涯忘れることのできない存在だ。千尋にとってもハク(ニギハヤミコハクヌシ)は幼少時の命の恩人であり、それぞれ人と神ではあるが世が世なら結ばれるべき相手に違いない。

千と千尋の神隠しを見てよかった。劇場で観ることができて本当に幸運だった。30分かけて最寄りの映画館に飛び込み、ポップコーンとマンゴーサイダー片手に人も疎らな5番シアターへ向かったのは真に正しい選択だった。昔は摩訶不思議な世界に飛び込んだ少女が無事帰ってこれてよかった、程度の感想だったが、立場の変わった今改めて劇場で出会えてよかった。昔の感想を大切にしつつ、今の自分の置かれた状況に沿った役割を演じながら、真の目標を心の中に燃やしながら生きていきたい。

 

(追記)

登場人物いずれも契約に縛られて、各自思うところはあるものの自分の使命に忠実なのが素晴らしかった。職業人としてあるべき姿だと思った。