大阪生活

大阪生活の記録

煙草の記憶

ひとり煙草を吸っていると、ふと頭によぎる記憶がある。それは午前5時の中池袋公園で、当時ぼくは大学の一年生で、オール明けでやたら重くなった目で、場当たり的に選んだメントールタイプの煙草を吸った記憶だ。
僕には櫻庭という友人がいる。当時彼は家族と不仲だった僕を気遣ってくれて、家に泊めてくれたり何かと付き合ってくれた。その夜も池袋で集合し、当時まだ24時間営業だったジョナサン東池袋店で夜を明かした。最近あった出来事や両親への不満、異性の話までよく会話が尽きなかったと思う。お互いに駿台予備校で一年過ごしていたこともあり、大学入学とともに20歳を迎えていたので、深夜のテンションで煙草を吸ってみようという流れになった。
会計を済ませ中池袋公園へ移動し、近くのファミマで煙草を買った。二人で割り勘した記憶もある。期待に胸を踊らせつつ、苦労して煙草に火をつけて(息を吸いながら火を付けるなんて知らなかった)、全く美味くない煙を肺いっぱい吸い込んだ。
季節は夏過ぎだろうか。冷房の効いた店内から外に出たときのムワッとした空気を唐突に思い出した。お世辞にも澄んでいるとは言えない池袋の空気だが、昼間の喧騒と比べれば嘘のような静けさの中、公園で休憩しているサラリーマンと肩を並べているのが少し誇らしかった。20歳とはいえまだ子供以外の何物でもなかった自分が、煙草を吸っただけで大人に近づいた錯覚さえあった。
僕にとって東京は学生時代に過ごした街だから、仕事で東京に行くと昔のことを思い出す。歌舞伎町で働いてたときに大井町という地名はよく耳にしたなとか、CMの撮影を終え、ロケバスで早朝の渋谷駅に下ろされたときの倦怠感とか、深夜の高田馬場で雨の中泣きながら線路脇を歩いた記憶とか、とにかく東京という街には多くの思い出が染み付いている。東京で働いていたらノスタルジーな街にはならなかったはずなのにな。高校時代、大学時代、会社員時代と過ごした街が違うから、それぞれの街に思い出が染み込んでいて上書きが難しい。
川越を歩けば恋愛サーキュレーションと生徒ホールとナカノパンを思い出し、江古田を歩けば音大(?)時代の部室と図書館を思い出し、それこそ池袋を歩けば自習室と7階で過ごしたあの頃の一日を思い出す。
今や大学近くの煙草が吸える喫茶店は概ね禁煙になり、工事中だった駿台近くの南池袋公園はお洒落なカップルのための場所へと姿を変えていた。時間が経つごとに思い出は薄れていき、思い出の染み付いた街もまた変わっていく。"時は人を変える 変わっていく"とあるように、当時の僕や友人たちと現在の我々との間にもまた大きな距離があり、同じ場所に同じメンバーで集まったとしても当時と同じように楽しめるかは分からない。おそらく無理だろう。

それでも僕は未だに未練たらしくあの早朝の池袋の空気を思い出す。また櫻庭と二人で中池袋公園近くのジョナサンに陣取り、朝まで喋ってから公園で煙草を吸いたい。無理ならせめて明け方の公園で煙草を吸わせてほしい。だから僕を早く東京に戻してほしい。