大阪生活

大阪生活の記録

今後の人生について

当時新成人は(もちろん時期は限られたけど)ミュージックチャージ無料でブルーノートやコットンクラブに行けたんです。地元の幼馴染と高校の同期がたまたま早稲田のスウィングに入ってて、二人から誘われたので胸を躍らせながら東京駅へ向かった。実に2013年1月6日のこと。丸の内ビルディングの2階にあるコットンクラブは、当時のぼくにとってはあまりにも大人の空間で見るもの聞くもの全てが刺激的だった。

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当時ワクワクしながらiPhoneで撮った一枚

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これしか頼めなかったんだよね

確かライアン・カイザーのライブだったような、と検索したらヒットした。これだよ。

www.cottonclubjapan.co.jp

席は幼馴染の向かい。彼はスポ小時代からの知り合いで、同じチームでサッカーボールを追いかけて、中学校では(学年でたった二人だった)男の伴奏者同士仲良く過ごしていた気がする。彼は高校から早稲田の付属校へ入ったので物理的な距離は離れたけど、お互い男子校だった上にジャズやフュージョンが好きだったこともあり、一緒に勉強したり飯を食いに行くなど比較的仲良くやっていた。当時既に出会ってから10年が経っており、ここまで友情が続くとは……と話をした記憶がある。

ライブ後、あまりの素晴らしさに「絶対ここに気軽に来れるくらい稼ごう」「寧ろジャズバーを開こう」「絶対にジジイになるまで楽器は続けよう」などと約束を交わした。当時は酒の勢いで語っていたのだが、時が経つごとにその約束は重みを増し、あれから10年近く経った今でもあの当時の約束を胸に我々は生きている。当時の約束は徐々に具体的なものへと変わり、「40歳で1000万は稼ごう」「家を立てて地下にスタジオを作ろう」「結婚しても家庭を持っても楽器は続けよう」など。

現在の進捗状況は特に触れないが、案外なんとかなりそうな予感がしている。少なくともお互いまだピアノは続けているし、スタジオを作るにしても決して不可能ではない。年収についても足して2で割れば40歳で平均1000万には届きそうだ。転職することでぼくの拠点は埼玉へ移動するし、彼も来年か再来年には戻ってくる。

成すべきことを成す。自分の将来をイメージして、近づけるように努力していけばきっと道は開けるはずだ。まずは次の会社で頑張って認められて、数年内に海外駐在することを目標に行動する。嫌でも英語を話さざるを得ない状況に追い込まれば話せるようになるだろうし、扱う製品や業界にも詳しくなるに違いない。この業界は今後大きく変わるはずなので、乗るしかないこのビックウェーブに。やってやろう。