大阪生活

大阪生活の記録

転職活動を振り返る

一年半くらい前に転職することを決意したが、スキルと経験が圧倒的に不足していた。このままじゃすぐに買い叩かれると感じたため、2019年度はTOEICの勉強と営業を頑張った。TOEICで点を取るための勉強をしたので、足切りに引っ掛からない程度の点数は取れた。営業成績も幸い大幅達成と言える結果に落ち着いた。そうしてこの4月からは満を持して転職活動に臨んだ。

最初の二ヶ月は現職が忙しすぎて全く面接を受けられなかった。中国の道路が封鎖されて工場に資材を運び入れることができずに生産がストップしたり、工場長が夜逃げして全てがおしまいになりかけたが、必死の努力で調達先を探し、客先に頭を下げ続け、恐らくは事なきを得た。6月に入るとコロナもある程度落ち着き、採用活動が再開されたのでまずは受けたい会社を受けた(コンサルとかGAFAとかカメラとか)が、想定通り全て書類や面接で祈られたので方向転換することにした。

自分が入れそうな会社(=現在の仕事が活かせそうな会社)を調べ、その中から今よりよさそうな会社を複数ピックアップした。内定が出たら即座に現職を辞めていい会社しか受けなかったので、面接も非常にやりやすかったし嘘偽りなく受け答えができたのが気持ちよかった。最終的に現職よりよさそうな会社に決まったが、同時に受けていた会社(総合商社、外資メーカー、資源系)に行っても楽しかったかもしれない。

総合商社に決まってたらめっちゃ稼げてただろうな。外資メーカーに行ってたら神戸に住んでたんだろうなとか、資源系だったらリグに寝泊まりしたりするのかなとか考えると選択肢を切り捨てたようで嫌になるけど、よくぞこのチャンスを掴み取ったと自分を褒めてやろうと思う。昔から働きたかった業界で、比較的働きやすそうな部署で、でも営業先はアジア太平洋地域全般で、どう考えても最高以外のなにものでもないじゃない。正直この先どうなるか分からないけれど、どこか高いくて見たことないところから垂れ下がる一本の糸をよじ登っている途中だと信じたい。

ようやくある種のコンプレックスを克服できた気がする。別に重工業じゃなくても資源系じゃなくても、中央省庁に行かなくてもいいじゃない。自分が誇りを持てる仕事ができて、海外に会社の金で行けて、自分の関わった製品が世界中で使われているなんてこれ以上の幸せはないんじゃないの。自分が納得できる人生であればきっとそれが正解で、周りに流されずに好きなことを続けられる生き方を続けていきたいね。現職で学んだいろいろなことを次の会社では生かして、ちゃんと胸張って生きてくね。

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