大阪生活

大阪生活の記録

あと一日

出社するのもあと一日。

11時から別室に移動し、僕を採用してくれた人事部の人から退職手続きの説明を受けた。思い返せば2015年の8月、最終面接の翌日に彼から内々定の連絡を受けたのは京都駅地下のトイレだったな。最終面接を終えた後は京都へ向かい、友人のアパートで一泊して京都を満喫してから家に帰る予定だった。一泊して京都駅へ移動し、大便器に座った途端に内定の連絡を受けたので、仕方なく大阪まで引き返し内々定の書類に署名・捺印を終えて帰路に着いたのを思い出した。

その時に「おめでとう、ようこそ我が社へ」と握手を交わした人から退職の説明を受けるのは不思議な気分だった。最近は若手がどんどん抜けていくんですよ、と悲しげに口にしていたのが印象的だった。周りを見る限り本社配属された若手は確かに次々と会社を抜けていき、労組関係で仲良くなった先輩や後輩も皆辞めてしまった。同期が一人だけ本社に残っているが、話を聞く限り彼もいろいろ考えているようで、きっと若手がJTCで生き残るのは大変なんだろうな、と人ごとのように思った。

そういえば内定者懇親会に唯一私服で参加した僕を見て「お前が一番最初に辞めそうだな」と笑った先輩がいた。彼とは同じ本社配属だったこともありすぐに仲良くなり、同じ独身寮で学生のような生活を楽しんだ。先日喫煙所で彼と会ったときに会社を辞めることを伝えると、非常に驚いた様子だったが応援してくれたのが嬉しかった。「自分は資格も何もない」と彼は卑下するが、優秀な大学を出て、在学中に留学経験もあり、財務関連の知識と経験が豊富な人が転職で苦労するとは思えないと伝えた。遅かれ早かれ、彼も会社を辞めると確信した。

話は元に戻るが、午後はとあるデカいお客さんの引き継ぎを社内外の関係者を集めて行った。関係者である工場の先輩とは久しぶりに顔を合わせ、会社を辞めること、次の会社のこと、そういった話を立ち話程度だが交わすことができた。厄介な2時間の会議を終え、ルーチンワークを一つ無くすことに成功した。後輩には僕より楽に働いて欲しかったので、先輩としてやるべきことを多少なりともできたのかなと思う。

今日は定時を過ぎた後も会社に残り、書類を正しい場所へ収納したり私物をリュックサックに詰め込んだりした。最終的には机の中を空にし、必要最低限の筆記用具を残して全て処分することができた。旅費精算を終え、社外へは退職する旨のメールを送り、今日届いた注文書をベースに発注処理を行った。本腰入れてやれば案外何とかなるもんだ。

気づけば21時を回っていたので会社を後にし、「世界一暇なラーメン屋」へ向かう。遅い時間なのにめちゃくちゃ並んでいたが、なんとか飯にありつくことができた。今は部屋への階段を登っているところ。さ、これでさっさと風呂に入って寝よう。泣いても笑っても明日が最後だ。