大阪生活

大阪生活の記録

鉄鋼メーカーはいいぞ

仕事では某業界の大手四社のうち三社と直接付き合いがあって、そのいずれも非常に素晴らしい会社だった。担当者はその誰もが人間的な魅力に溢れており、会社の立ち位置も仕事内容も申し分ない。ただ付き合いのある会社に転職するのは何らかの規定に引っかかりそうだったので、大手のうち付き合いのない一社に入ることにした。

もともとは新卒で大手四社のうち二社を受けたものの、一社は一次面接で祈られ、もう一社は最終で祈られた。前者は丁寧なお祈りの連絡が来たので現職では精力的に仕事していたが、後者は散々な面接だったのでそれなりの対応でモノを売った。ただ今の会社を挟むことでようやく学生時代思い描いていたスタートラインに立てた感じはある。とにかく方向性がブレずにいられてよかった。

付き合いのある会社のうち住友と三菱の担当者に同じ業界へ行くことを伝えると非常に喜んでもらえた。厳しいながらも意義のある仕事には昔から憧れていたこと、確実に世界の為になる仕事をしたかったと話すと、住友の工場トップからは「同業他社とはいえ現場間の付き合いはあるので遊びに行く」ことを、三菱の担当者からは「とりあえず個人的に酒を飲みに行きましょう」というお声掛けをいただいた。特に三菱の担当者は同い年であり、営業/購買と立場が違うながらも同じ案件を二人三脚で手がけた戦友であり、ピアニストでもあり、何かと話していて楽しい人である。

ぼくが金属に進んだきっかけは些細なことで、同期の園田(東大博士)からギズモードのアルミニウムの記事を見せられたことと、佐藤先輩(慶應→某取引先)と池袋で偶然会ったときに内定先の話を聞いたことが原因で。彼らは覚えてないだろうけど、そんなことがきっかけでこの業界に足を踏み入れた。最初はこの業界で間違いなかったなと思ってるし、そう思い続けられように頑張っていきたい。

インド駐在

次の会社の採用担当者と話をした。面接でインドへの愛を散々語ったので、インド駐在になる可能性がかなり高いとのこと。会社の中でインド駐在は不人気らしい。改めて考えるとインド駐在よりアメリカやイギリス駐在の方が安全な気がするけれど、インド駐在の場合は忘れられない思い出になりそうだし、精神的肉体的にタフになれそうだ。もちろん次の仕事は相当ハードみたいだから、気合い入れて働いて、絶対に海外駐在してやるからな。見てろよ。

チ◯ポファイル

パソコンの一時ファイルを「チンポファイル!!!!!!!」って指差して馬鹿みたいに笑ってた社会人3年目に戻りたくなることがある。当時一緒に笑ってた同期ももう退職した。時の流れは早い。

2020年9月27日

・金曜日は届いた電子ピアノと戯れていた兼ね合いもあり消灯したのが午前1時を過ぎていて、土曜出勤の今日は枕元で40分くらい目覚ましが鳴り続けていた。会社近くの松屋で朝定食を食べる。290円でこのクオリティが味わえる日本すげーって思った。

・仕事が終わり、リュックサックに入れていた私服に着替える。折角の土曜なので直帰するのは勿体ないと、心斎橋〜本町あたりを目的なく徘徊する。堀江の服屋はコロナの影響で正午を回らないと開店しておらず、かといって家具を見るわけにもいかないので、人のまばらな心斎橋筋商店街を北へ向かう。

・大阪写真会館の鈴木特殊カメラでL/Mマウントの28mmのレンズを探す。店主が見せてくれたのはエルマリートだった。一旦断り、次に50mmのレンズを頼んだらまさかのMS-Optics 57mm Petzだった。渋すぎるでしょ。普通にニッケルエルマーとかVoigtlanderのNokton f1.2、もしくはセレナ―とかニコンとかが出てくると思うじゃん。宮崎光学の美品なんてよく在庫してたなぁ、と驚いた。どちらも高くて買えなかったが、まあ安くても買わなかっただろうなとも思った。富士カメラでもやっぱりライツのレンズ、それとニコンのSマウントレンズばかりで求めていたものは見つからなかった。求めているものはm-rokkorの28mmだから玉数が少ないのは知ってる。けど運命的な出会いを胸に向かっただけに残念だった。

・腹が減ったので大原先輩オススメの店で1500円のお造り御膳をいただく。船場センタービルからほど近い店は13時を過ぎているにもかかわらず店先に人が並んでいて、入店できたのはラストオーダー10分前だった。中トロ、鰤、蛸、帆立、鯛の刺し身、それと豆腐、沢庵と味噌汁と白米。鰤は昆布締めしていたかもしれないが、してなかったかもしれない。1500円以上の価値がある昼食だった。

難波神社近くの古本屋で本を眺める。ご飯の盛り付け方の本、ル・コルビュジエの本、戦前の日本を写した写真集などを手に取った。一人で夕方まで過ごすのは悲しかったため、以前飲んだことのある知人に連絡を入れる。すぐに返信が飛んできて30分後に合流することになった。天気を気にしながら店先のテラス席でぼんやりコーヒーを飲んでいると、彼が自転車でやってきた。

・海外勤務の話、転職の話、サブスクの話、最近買った楽器の話、人生がニュートラルな状態に戻った話、ジャズの話、音楽における伝統芸能の話、ロックの話、楽器の値段に関する話をしているうちに1.5時間が経過したため場所を移すこととなった。テラス席に半袖だと若干肌寒いくらいか。結局今日は雨に降られることはなかった。

・大阪農林会館というクラシカルな建屋へ足を運び、服屋や文房具屋を巡った。僕はトイレへ行って、彼は服を試着した。身長170くらいが日本で生きていくには丁度よいと思った。大阪農林会館はもっと早くから知りたかった空間だった。コロナ以前は結構繁盛してそうな場所だ。階段の手すりには彫刻が施されており、窓枠は木製でもアルミでもない、あまり見たことのない形をしていたし、窓に嵌められたガラスも随分昔のものだった。少なく見積もって半時間は滞在しており、時間的に軽く一杯くらい飲んでも許されるだろうという雰囲気になった。結果的にシーシャの店に行くことにした。

・心斎橋と四ツ橋間にあるシーシャの店で、Vulfpeckのライブ(マディソン・スクエア・ガーデンで行われたやつ)を聞きながら水タバコを吸う。ぼくは合計4回トイレへ行き、読もうとして手に取った「中間管理録トネガワ」は読まず、ジンジャーエールと炭酸水を飲んだ。ワーホリの話、今まで行った国の話、如何にVulfpeckのメンバーが素晴らしいかという話、恋人の話、出張の話、欲しい楽器の話、トランペットとボーカルの関係性の話、フェスの話、それにローランド・カークの話をした。気づけば3時間以上経過しており、飯を求めて外へ出た。

・会社近くのカレー屋は閉まっており、少し先にある目指していたご飯屋には結局たどり着けず。アメ村の奥にある(検索でヒットした)カレー屋へ向かう。野菜チキンカレー、ビーフカレーを頼む。まずはビールが届き、次にデカイ皿にカレーが乗せられてやってきた。互いの仕事の話、メンタルの話、職場での処世術に関する話、ヒゲの話、転職の話が一段落付く頃には22時を回っていた。道頓堀近くの交差点でスポーツカーが破裂音を響かせながら走っていくのを見た。なんば駅で彼とは別れ、最寄り駅からはタクシーで帰った。

・実に久しぶりに半日外で過ごした。適当に歩いて適当な店に入り、好きにお金を使うのは非常に気持ちが良い。今なら何でもできるぞという強い気持ちを持っていさえいればカードの引き落とし日も怖くない。夜のなんばの雰囲気は半年以上ぶりだが、コロナ以前と比べると人の数が少なく感じられた。当たり前だが、音楽の話は楽しい。

・明日は特に何もすることがない。カレーでも作ろうと思う。

 

残り少ない大阪生活

大阪生活を始めてから開設したこのブログだが、引っ越しに伴い大阪を離れることになったためブログ名を変えたほうがいいのかもしれない。とは言いながらosakajazzlife.hatenablog.comというURLは正直気に入っているので、埼玉に引っ越しても、それこそインドのグジャラート州へ引っ越したとしてもこのままでいようと思う。

大阪で過ごす最後の夏、この4連休は近所を散策してきた。GRを無くしてからは重たい6Dを持ち出す機会は減り、代わりにR-D1を首から下げてぶらぶらすることが増えた。自分でピントを合わせなきゃいけない一手間が楽しくて、なんだかんだ一番満足感の高いカメラかもしれない。

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枚方凍氷という店の脇道で撮った。CCDセンサーは暗所の表現がいいね(?)

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どこかの道沿いにあった謎の玉。

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淀川は遠くから見ると雄大なのに、近くに寄るとただの臭い川。

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山田池公園の竹林。朝6時に公園でおにぎりを食べた思い出。

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近くの図書館。無限に本を借りて半分くらいしか読まずに返す日々。

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空き駐車場が多い。

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ヘッドライトを磨いた。磨いても黄ばみが取れなくて凹んだ。

残り少ない大阪生活をどう過ごすか問題。