大阪生活

大阪生活の記録

雑誌を読むこと

雑誌を読むのが好きだ。雑誌はどれもこれも写真が多いから手軽に読めるし、発売された当時の流行が見て取れるので昔買ったのを見返すのも楽しい。バックナンバーを見て気づいたけど、カルチャーな雑誌って一年毎くらいに同じような特集するんだね。コーヒーだったり映画だったり、少しばかり時間が流れても普遍的に売れそうな題材というか、ネタがこの世の中に溢れている題材というか。

この前の休日は久し振りに蔦屋書店に行ってきた。LINE Pay→スタバのポイントへチャージして1000円分のポイントが発生したので、ライムとコーヒーのやつ(漠然)を飲みに行きたかったから。というか蔦屋書店って案外あちこちにあるのね。学生時代に代官山の蔦屋書店に怖いもの見たさに行ったけど、犬を連れたハイソな人々ばかりだった記憶しか残っていない。確か家から一本で行けた場所だったはずなのに、足が遠のいて一回二回しか行かなかったの勿体ないな……

そう、その蔦屋書店ではいろいろな雑誌があった。僕の好きなフィルムカメラの雑誌はほぼ読み尽くしたし、彩度低めの車の雑誌も車以外の情報が多くて疲れてちゃう。そうしていつも料理本やアウトドアの棚のあたりをぐるりと回って、気になる本をいくつか手に取って席に座り、氷の入ったコーヒーが薄くなるまで読み続ける。1時間くらい経って雑誌を戻しに行き、スマホを弄ったり文房具を見たりしているうちに「何かをした感」が生まれるので満足して家に帰る。そういう土曜日。

何を書きたかったのか、どういう結論にしたかったのかは会社のメールを返信しているうちに忘れた。今日は北陸へ向かうサンダーバードに乗っている。田んぼには青々とした稲が揺れている。畑とビニールハウスと送電線が広がる景色だ。今日がいい天気でよかった。

遠く離れた場所で

山口県の、もうあと一息で九州というところに宿を取りました。一泊2600円の安宿です。今朝は岡山のホテルでバイキングでした。バイキング込みで宿泊料が4200円、結構お得じゃないですか?お昼はコンビニでおにぎりとサンドイッチと辛い鶏肉を食べて、夜ご飯は王将で餃子を食べました。

ぼくの想像の及ばないこんな遠くでも人は頑張って働いて、束の間の休日で心と体を癒して、再び会社へ行くのだと考えると不思議な気持ちになりました。ぼくがこれまで生きてきた27年間に考えたことや感じたことはぼくにとってかけがえのない経験ですが、恐らく大多数の人は同じような経験をして同じような悩みを抱えているなんて。世界の広さに対して人の意識というものはあまりにも大きくないですか?

また明日、明後日とぼくは働きます。25日に振り込まれるであろう給料を糧に、また一ヶ月、また一ヶ月と溺れぬようにギリギリの生活を続けていきます。ただそれだけです。

昔の友人と昔の自分と酒を飲む(2)

昔の友人と会うと昔の自分に戻ってしまう。昔そんな内容で一つ、ブログを書いたのを思い出した。幸い、ここ最近は昔の友人に会う機会があった。会ったのは学生時代に仲の良かった人達で、上は60代、下は20代前半の大学生。一つか二つの共通事項を除けば彼らの年齢も性別もバラバラなのが面白い。同じ講義を隣で受講した同じ趣味の人もいるけれど、趣味ってのは随分いろいろな壁を乗り越えて繋がるよね。高校時代の友人とはしばしば会っていて、この前は駿台予備校時代の同窓生と飲んできたし、なんなら東京を遠く離れた四国の片隅で当時のクラスメートとバッタリ遭遇したこともある。けれど大学時代のぼくは友人が本当に少なかった。

今回会った人たちはアポ無しでセッションに突撃したのに快く受け入れてくれたのが本当に嬉しかった。約4年ぶりに会った人たちは髭が伸びてたりまた少し年老いていたり、あの頃C年だった後輩がもうF年になってたりと(この表現自体がそもそも懐かしい)その変化に驚かされた。けれど人ってそう簡単には変わらないみたいで、むしろぼくのほうがいろいろと変わってしまったような気さえした。ただ、あの頃はなんでもないようなことばかり話していた人達とビジネスの話ができたのが結構嬉しかった。微妙に専門領域が被っている人、競合ではないけれど相当近しい業界に勤めてる人もいて驚いた。

なんだかとても満たされた時間だった。普段なら絶対飲まない量の酒を飲んで、様々な楽器に手を出してセッションに参加した。そうだ、ぼくの学生時代はこんなに幸せだったんだと気付かされた。数は少ないながら大学以外にも居場所があって、なんでも話せる年上の人たちがいて、当時は寝場所まで提供してもらって。あの瞬間だけは確実にF年の頃に戻っていた。ふんわりとした意識の中、0時過ぎに蒲田の宿に転がり込んで泥のように眠った。

翌日目覚めて朝の飛行機で帰阪し、夢から覚めたように月曜からはまたいつも通りの日常が始まった。すると昼前につまらない日常業務を捌いているうちに一件のメールが届いた。

差出人は同じく法人営業をしているベーシストで、今度2人で飲みに行きましょうといった内容だった。何か分からなかったけど、とてもとても嬉しかった。昔は学生ー社会人という関係だったのが、社会人同士で飲みに行けるなんてあの頃は全く想像しなかった。就活の相談に乗ってくれたり、しょうもない愚痴だって聞いてくれた人と同じ目線で仕事を語れるのが本当に嬉しくて。

f:id:osakajazzlife:20190527191047j:image

仕事は嫌なことばかりだけど、四年も続けていれば一つくらいいいことがあるんだと思った。一生懸命働いてるんだから、このくらい楽しみがあってもいいよね。きっと。

仕事から感じる苦しみについて

少しでも目を離した隙に案件は必ず悪い方向へ進むので、土日を挟んで出社する月曜は憂鬱である。自分の与り知らぬ場所で勝手な解釈が生まれるのは、あたかも生命の起源を目の当たりにするようで俯瞰すれば愉快であるとも言える。嵐の月曜日を無事に終えることができた自分を褒めてやりたい。

午前中は全てが嫌になって自殺を企てるほど追い込まれていたが、自分の抱えている案件の因数分解が進むにつれて気持ちは軽くなり、今では「死んでやってもいいけど?」といった感じ。無駄な形容詞を纏った案件ほど面倒くさいものはない。加えて、単純に自分の仕事だけ処理するだけならまだしも、職場にはほぼ必ず面倒臭い人間関係がつきまとってくる。仕事だから対応はするけど、ぼくを勝手に特定の派閥に組み込むのはやめてほしい。そのせいでスムーズにいくこともあるけれど、厄介な事態を引き起こすことの方が遥かに多い。

仕事が嫌になる原因が特に人間関係にあるのが悔しい。待遇や仕事内容は普通なだけに、純粋な営業活動にだけ集中していたい。甘えんなって感じだよな、知ってる。いっそのこと営業に頭下げられる施工担当になりたい。

どの仕事にもそれぞれ地獄があって、別の仕事を始めたとしてもまた違う種類の地獄が待っているんだと思う。けれど今日はレベル5くらいの地獄だった。レベル3なら耐えられるけれど、レベル5の地獄が毎日続けばほぼ確実に人間不信になるし、昼休みは涙を流しながらトイレに籠城することになる。トイレの神様かよ。

迷いと決断について

選択をするごとに可能性がひとつ、またひとつと指の隙間から流れ落ちていく。あの時右でなく左の道を選んでいたら怪我をしなかっただの、この会社でなくあの会社を選んでいたらもっと幸せだっただの、人生は小さな後悔の積み重ねで成り立っている、と考えるようになったのはいつからだろう。正しい選択をしたことはすぐ忘れる割に、些細なミスや自分が被った痛みはいつまでも忘れられない。

ぼくにとって仕事は生活の一部だ。会社で良いことがあれば家でも上機嫌で、逆にミスをしたときにはよく眠れなくなったり酒の量が増えたりする。私生活も同じように仕事に結構な影響を与えているけれど、仕事が私生活に与える影響の方が大きいと思う。

この仕事に就くことを決めたのは大学4年生の頃のぼくだった。当時のぼくは大手企業かベンチャーかで日々揺れていた。そう書くと格好いいが、実際は8月末まで内定は一社たりとも無く、今どきのベンチャー企業の溌剌とした説明会に行ったと思えば、ただ聞こえが良いだけの(=全く業務内容には興味のない)超大手のESに取り掛かったりと節操のない生活を送っていたと書いたほうが正しいかもしれない。いずれにせよ将来に対する明確な理想像などは無く、ただ漠然と毎日満員電車には乗りたくないなぁなどと考えていた。

あれは2015年7月末のこと。大学の期末試験が終わったにも関わらず、ぼくは当時所属していた同好会の部室でESを書いていた。当時、この同好会で内定を持っていない人はぼくだけだった。学生最後の夏休みにはどこに行こうかと話す声が聞こえる。ぼくはESを諦めて冷房の効いた部室から抜け出し、部室棟の屋上へ向かった。グラウンドから野球部の声が聞こえるだけで、屋上はぼくを除いて誰もいなかった。

会社を選ばなければ内定なんていくらでも取れるさと意気込んでいた3月、面接を突破できずに焦りだした5月、既に過半数内々定を獲得し、内々定先の報告会と化した専門ゼミから足が遠のき始めた7月。あの面接でこう答えていたら、あの会社に応募していれば、と過去の自分を責めた。リクルートスーツを着て大学へ向かう自分と、シャツに短パンで仲間と沖縄旅行の打ち合わせをしているあいつ、一体どこで差がついたんだろう。

屋上から近くの喫煙所へ向かい、ポケットから潰れかけた紙巻たばこを取り出す。紫色の100円ライターで火を着けてゆっくりと煙を吸い込んだ。3秒間息を止めてからゆっくり煙を吐き出す。喫煙所から見える大講堂と大きな銀杏が煙越しに揺れていた。

そんな自堕落な日々を過ごすうちに、やがて人生は自分の力ではどうしようもないことがあって、逆らえない物事にいくら取り組んでも消耗するだけだと気づいた。どれだけ努力しても過去の面接の結果をひっくり返すことはできないし、時間を巻き戻してESを訂正することもできない。ただ今を生きて、少しでも自分のためにやるべきことをやるしかないんだ、と自分に言い聞かせた。

その後の就職活動も特に変わったことはしていないが、やがてその半月後にぼくははじめての内々定を手に入れ、半年後には住み慣れた東京から遠く離れた大阪の会社に就職することになる。途中で選考を辞退した会社に入社していたら、きっと今とはまるで違う人生を歩んでいたに違いない。大阪に引っ越すこともなく、新しくできた趣味に大枚の金をつぎ込むことも無かっただろう。そう考えると、就職は人の人生を大きく左右するものだと言えるはずだ。

ぼくにとってこの選択(=大阪の会社に就職する)が正しかったのかは確かめようがない。学生時代の友人達とは疎遠になって、ごく僅かな友人としか連絡を取れずにいる。とは言え、大阪という地で得たものも大きい。新たな交友関係も広がり、学生時代の自分では想像しなかったような生活を送っている。毎週のように日本中を飛び回り、向いていないと思っていた営業という仕事をかれこれ4年も続けている。これが良いことなのかそうでないのかは分からない。自分の理想像とは少しズレた人生を送っているけれど、それでも今日を生きて、明日を生きると決めている。

人生は後悔の積み重ねでできているが、それは忘れてしまった成功体験の裏返しでもあるのだと思う。今ここにいる自分は過去の自分が努力して築き上げた自分でもあるし、いくつもの選択を積み重ねてきたからこそ今の自分がいる。100点満点の人生ではないけれど、70点くらいの人生で良いじゃない。それに今だって数多くの選択肢に囲まれていて、決して自分の道が狭まっているわけじゃない。ここにいるからこそ見えてきた選択肢も確実にあるはずだ。

過去の決断によって今の自分がある。同じように今の決断によってのみ未来の自分は形成される。迷いのない決断は尾を引かずすぐに忘れてしまうし、悩み抜いた末に下した決断はどっちみち後悔するはずだから、そんな些細なことは未来の自分に任せればいい。大切なのは今、目の前にある選択肢をよく吟味して決断すること。就職、転職、退職、結婚、離婚、死別と大きな出来事はひっきりなしにやってくる。自分にできることとそうでないことを見極めて、できる範囲で決断したい。

仕事がつらい。真綿で首を絞められているようだ。勤務時間が長いわけでも特段業務が忙しいわけでもない。ただただ日々机に向かって見積書を作成し、商品を発注し、客先と社内の人間との間の諸問題を調整する。車を走らせても酒を飲んでもまるで満たされない。こういう気持ちになるのは月に一回くらいなので、ただ時間が過ぎるのを待てば良いのは経験的に理解している。

このもやもやを解消するために金を使うのはなんとしても避けたい。それが正しい金の使い方であれば良いのだけれど、いや、正しい金の使い方なんて存在しないか。ただ何の為にもならないことに金を使うのは避けるべきか。そんなちんけなことを全部ナシにして、何も考えないで生きていきたい。金は大切で、ある程度は生きていくために必要だけど、ただ漠然と貯金しても何にもならない。ただ選択肢は広がる。

要するに今日は気分が優れない。よくない。よくない。

東京と大阪について

表題、ぼくは東京の大学を出て大阪の会社に勤めている。高校まではそれはもう田舎の学校に通っていたのだけれど、一応広義の東京圏で生まれ育ってきたと言っても許される程度の身分だとは思っている。ここ数年間は営業マンとして日々西日本を飛び回り、客先に頭を下げたり作業服を泥だらけにしながら設備の点検をしたりすることで、なんとか生活の糧を得ている。

東京には2ヶ月に1回くらいの頻度で行っている。東京本社の会社を多く担当しているから、大口案件だったりクレームの最終報告みたいな重要な打ち合わせは本社を相手にしないといけないからね。生まれ育った東京の雰囲気は勿論嫌いじゃないし、知り合いも多い東京に住みたいとずっと思ってきた、かれこれ4年間。

このGWには珍しく実家に帰省することにした。実家は毎年1回くらいしか帰っていない。都心からやや離れていることと、仲の良い友人たちは関東圏のあちこちに分布しているから、都心に宿を取って彼らと飲む方が圧倒的に効率がいいからだ。

空港から京急で品川へ向かい、そこから実家へ向かう間の電車はいつも混んでいる。明らかに積載量オーバーの人間達が揺られる車内ははっきり言って最悪以外の何物でもない。今回みたいにリュックサックともう一つ荷物を持っているときなんてのは最悪以上の地獄だ。帰りたくなる。

東京は誰もが見て見ぬふりをすると言った人がいる。優先席は譲らないし、困っている人を見かけても(何があるかわからないので)積極的に声をかけようとはしない。その反面、大阪人は見て見ぬふりができないのでつい構ってしまうのだとか。どちらが良いかは人それぞれだけど、どうやらこの数年間でぼくは大阪の空気にあてられて染まってしまったのかもしれない。大阪のあの人懐っこい感じが、どこか東京では恋しくなった。

この4月にいろいろあって、いつ東京に戻れるのかもう分からなくなった。ひょっとしたら東京勤務は先延ばしになるかもしれないし、九州や広島、仙台勤務になる可能性も見えてきている。ああ愛しの東京、早くそっちへ帰りたいよ。