大阪生活

大阪生活の記録

ブログ移転のお知らせ

ブログを移転します。大阪生活が終わったからです。次のブログは社宅生活です。

住み慣れた場所を離れて大阪で暮らすことに対する不安はありましたが、ファーストキャリアを大阪で迎えられたのは幸いでした。セカンドキャリアは埼玉から始まり、一体今後どこへ向かうのかわかりません、無理せずできる範囲で頑張っていきます。

shatakujazzlife.hatenablog.com

 

埼玉へ

搬出は2時間以内に終わった。段ボールの量は多かったものの、家具が異常に少ないので段ボールを終えてからは早かった。家の掃除は概ね終わっていたので最後に軽く掃除機をかけて、水回りを乾拭きした程度。長く過ごした家はあっという間に空っぽになり、白い壁に陽光が反射して綺麗だった。

次の家は埼玉の社宅になる。これで昔の友人たちと気軽に会えるようになったが、近くに住んでいると(いつでも会えるので)意外と会おうという気にならないような気がする。今の家よりは広いが、昔ながらの住宅なので正直今の家の方が趣味は良い。工夫して住みやすい家にしていきたい。

今は東京駅から最寄りのホテルまで移動している。明日は搬入日であり、体力を使うはずなので今日は早々に寝ようと思う。早々に寝て元気をつけて、明日からガッツリ搬入、とっとと片付けよう。

京都を歩く

ぼくが会社を辞めるということで独身寮の先輩二人に誘われ京都へ行ってきた。当初は会社に近い難波か梅田辺りで集まる予定だったのが、無理を言って京都(一乗寺河原町)へ場所を変更してもらった。

11時半ごろに出町柳駅に集合する。当日集まってくれた先輩は一人が同志社、もうひとりが京都大学の出身で、彼らにとって出町柳周辺は学生時代に入り浸った場所だった。しかし彼らも叡電にはそれほど乗ったことがないといい、事実同志社の先輩は数えるほどしか一乗寺には足を踏み入れていないようだった。

一乗寺にはラーメン屋が沢山居を構えており、駅近くには二郎が、数百メートル歩いた先に今回目指していた極鶏という店がある。極鶏にはGokkeiniumという必須元素が含まれていることで有名なんですよね。

r.gnavi.co.jp

店頭に到着したところ5人程度しか並んでおらず、店内に入ろうとするとどうやら整理券制を導入しはじめたといい、12時の時点で最速でも14時半ごろの入店になるそう。とてもじゃないが無理なので、あまり並んでいない近くの天天有へ入店することを決めた。

tabelog.com

チャーシュー麺に餃子、それに昼間なのに瓶ビールを注文する。昼間から飲むビールは実に美味い。程々に酔いが回ったところで恵文社へ突入する。勢いで写真集を買う一歩手前までいってしまったがなんとか踏みとどまった。京大の先輩いわく、恵文社には彼の一番の友人とたまに恵文社に来ていたそう。詳しく聞いてみると親友はぼくの高校の弦楽合奏部の一個上の先輩で、後期博士課程を修了し(!)現在は某企業で研究職をやっているそう。意外なところで人と人とは繋がっているんだな。

その後は鴨川の河川敷を四条まで下り、飛び石があれば必ず反対側へ行くという約束をしたあと、定期的に煙草を吸いながら水に手を浸したり、同志社京都大学の確執や、吉田寮の奇祭(四条から出町柳まで鴨川を遡上する)の感想などといった話を聞く。ぼんやり歩きながら少し色づいた葉っぱを視界の端で感じつつ、ひたすら南下する。川の反対側ではどこかの大学のよさこいサークルが大きな旗を振りながら練習していた。鴨川を下るにつれて人口密度が高まり、ベンチや芝生で寝ている人の数も増えていった。三条から四条に至る間で小バエが大量発生していたり、頭に羽根を生やした後期高齢者が謎の舞を披露していたりと京都のアトモスフィアを満喫できた。

その後は六曜社へ向かったが、珍しく行列ができていたので再び四条方向へ、地下の御多福珈琲へ向かう。撮影禁止の店内で先輩方と好きなだけ煙草を吹かした。プリンを頼む先輩方、ホットコーヒーをちびちびと飲むぼく。並んでいる人も増えたので30分くらいで店を出て、梅園でわらび餅を買ったあと彼らと別れて帰途についた。この日は雨に降られることもなく、秋の京都を存分に堪能できたのがよかった。

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秋の空気を全身で感じている人

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お世話になった方々

京都までは自宅から電車一本だ。ちょっとした休日でも河原町へ繰り出せたり、出張の合間に喫茶店で休憩したりとなかなか足繁く通っていたと思う。行きつけの喫茶店もできたし、お気に入りのパン屋さんやお菓子屋さんも片手では数えられないほど。立地にも交友関係にも本当に恵まれた社会人人生だったと思う。

頑張りすぎるなよ、それからまたこっちに戻ってきたら飲もうぜ、と言ってくれた。先輩方とは寮のロビーでテレビを見ながら酒と煙草で数時間過ごしていたし、狭い部屋で一緒にスピッツのロビンソンを弾いたり、夜の河川敷で楽器を吹き鳴らしたり、同じ原付を買ったりと多くの時間を一緒に過ごしてきた。仕事は辛いこともあったけど、同期や先輩と過ごす時間はめちゃくちゃに楽しかったんだよな。また一緒に遊びたいな。いろいろ変わってもまた遊びたいな。いい社会人生活だったな。

追記

この日は実に10キロ以上歩き、翌日である今日はぼんやりとした嫌な感じがふくらはぎに纏わりついています。程々に歩くのが楽しいね。

餃子を焼く

焼くだけで完成する冷蔵餃子を買った。パックから出してフライパンで焼くだけで出来上がるので体力のないときにはよく餃子を焼いている。なんでこんなに美味しいんだろうと餃子を発明した人に感謝しながらいつも食べている。大概どんな料理でも美味しく食べられる人なので、どこの餃子でも美味しく食べられるし、つまり特別美味しい餃子ってのを意識して食べたことがないとも言える。ラーメンだったら錦糸町の佐市、練馬の似星、YAHMAN、三四郎などポンポンと好きなのを挙げられるのに餃子ときたらいまいちピンとこない。餃子に対する味の解像度が低いのと、餃子経験値が低いのが原因だ。

でも思い返してみたら昔櫻庭と行った蒲田の店は美味しかった。寮の近くにあった王将の餃子は栄養満点っぽくて好きだったし、新宿か代々木のあたりの行列のできる餃子屋さんも美味かった。飯倉と行った池袋の中華でも餃子を食べた気がするし、案外あちこちで食べたのを覚えてる。この前はルクアの地下二階の中華料理店で食べたし、そのちょっと前には横浜中華街で食べたな。横浜中華街というか横浜って好きなんですよね。ちょっと小高い港の見える丘公園のあの辺に住みたいんですよ。

餃子の話に戻る。未だに餃子に水を注ぐ適切なタイミングが掴めていなくて、そもそも冷えたフライパンに油を敷いて、餃子と水を同時に投入して火を入れるやり方もあるし、熱したフライパンにでまず焼いてお湯を入れるレシピもあるし(結局は水を入れて蒸し焼きにできればいいんだろうけど)。個人的には油を敷いて熱したフライパンに餃子を並べ、蓋を閉じる直前に水を適当に入れて、水分飛ばして焼けたらオーケー方式でここ数年間通している。不味くはないしたまに奇跡的な餃子が完成するのが嬉しい。そういえば以前鉄のフライパンを買って餃子を焼いてみたことがある。カリッと焼けたような記憶がある。洗うのさえ面倒くさくなければもう毎回鉄のフライパンでいいんじゃない?という自分と、そもそも料理をするのが面倒なんじゃ、という自分がいつも拮抗していて結局テフロン加工のフライパンを買ってしまう。

家が無限に広かったら、キッチンにフライパンや微妙に大きさの違う鍋を小さいのから大きいのまで順番に並べて吊るしたい。ずっとこのまま無職であれば、Turkのフライパンを複数枚買って順々に油と馴染ませて、ちゃんと手入れしつつ毎朝たまごやベーコンを焼いていきたい。冷蔵庫にたまごとベーコン、それにバターが常備されている家に生まれたかった。夜には分厚い肉や餃子を丁寧に焼きたい。餃子は隙間無く円形に並べて、分厚い肉は外はカリッと、中はジューシーに仕上げるんだ。まずは鉄のフライパンから始めようか。そうだな、引っ越しすることだし調べるだけ調べてみよう。

為すべきことを為す

現実離れしている目標だとか、普通に考えれば手に入らないようなものであっても頭の片隅で常にそのことを考え続けていれば千載一遇のチャンスを逃すことはないし、仮に逃したとしてもどうすれば目標に近づけるかを考えていれば数回の試行でうまくいくので、願い続ければ夢は叶うという言葉は真実だと思っている。他の人が諦めてもずっとずっと挑戦し続けることで案外気づけば先頭に立っていることもある。自分は瞬発力も競争心も欠けているけれど、持続力という点では比較的優れていたようだ。「為すべきことを為す」という信条を忘れず今後も生きていきたい。

タスクのない一週間を終えて

電話が掛かってこない、メールも飛んでこない平日の幸福度が高すぎて。あの会社で過ごした時間がまるで別の世界の出来事かと勘違いするほど仕事から遠ざかっている。そのせいで部屋はどんどん綺麗になり、毎日のご飯の質も上がった。刺激を求めて散財しがちなのは駄目だと思うけど、この一週間はSNSに入り浸ることもなく極めて健康的に日々の生活を送ることができている。

働かないことに対する危機感はまるで感じることなく、ただ目の前のことを丁寧に対処していくことがここまで心を整えてくれるとは思わなかった。あちこち飛び回る機会がなくなり世界は狭くなったけれど、より内向的に、より一つのことに対してより深く考え、丁寧に対処することができるようになれた。無職期間をもう少し長く取っていれば伊豆だか箱根だかの民宿に数週間泊まり込み、歩いていける範囲をあてもなくさまよい、目についた定食屋で飯を食べ、海を見たり虫の声に耳を澄ませていただろう。現実的ではないが、そういう生活を若いうちに経験しておきたい。

来週は引っ越しがあってバタバタするだろうけど、正直今週の段階で概ね梱包は終わり、あとは家電と家具を搬出してもらい、最後まで使う予定のものを梱包するだけなので軽率にあちこちへ足を運べるのが嬉しい。神戸、大阪の好きな場所にはだいたい行けたし、あと行けてないのは京都か。京都で過ごしている地元の友人と飲めたら幸せだけど、彼らみんな結婚してるから夜集まるのは厳しいかもな。だとしたら一人で六曜社と一乗寺の本屋に行って、帰り際にみず色クラブにでも顔を出して帰ろうか。昔行った下鴨神社近くの銭湯にもまた行きたいんだよ。

ふわふわたまご

実家に居たころ、夜中にお腹が空いたときにはふわふわたまごを作っていた。お椀に卵と牛乳、それにめんつゆを入れてレンジで適当に熱する。ぐつぐつと沸いてきたら適当にかき混ぜて、全体が固まってきたら黒胡椒を振りかけて完成という手抜き料理だ。お腹が減ってしまったので5年ぶりくらいにふわふわ卵を作って食べながらこれを書いている。確かにこんな味だった気がするし、今食べても非常に美味しい。絶対に今夜は遅くまで活動するぞという強い意志を示すために紅茶も淹れた。今夜は何もすることがないが、だからこそ遅くまで起きていることが肝要ではないだろうか。