大阪生活

大阪生活の記録

沈む

最近沈みがち。自分の能力は明らかに低い。その差を埋めようと挑戦するが途中で見かねられて交代するので結局経験値は低いままだ。仕方ない、自分が悪いんだから。昼間が元気だっただけに余計落ち込んでしまう。この時間になると特にそうだ。

ここに書いたからって何も変わらないことは知っている。行動するしか解決策はない。けれど一歩踏み出せない自己嫌悪のスパイラルで結構ひどい状態だ。最近あまり良くない状態だ。自分でも知っている。夜だから、陽の光が無いからこんな精神状態に陥るんだ。夜のせいにして今日はもう寝よう。明日も24時間、明後日も24時間。

コストコのピザ

スーパーでコストコのピザを買った。たまたま入ったスーパーでコストコフェアが開催されていたから。ご存知の通りコストコのピザは大きくて安い。僕が巡り合ったピザは1600円の4割引。たぶん1000円程度だろうというアバウトな計算を脳内で済ませてから買うか否かを考えた。ピザは余りにも大きく、箱のままではとても冷蔵庫で保管することはできない。魚貝類の載せられたカラフルなピザの賞味期限はその日の24時。だとするとラップに包んで冷凍するか、一回で食べ尽くすかの二択になる。ピザは一回り大きな四角い箱に入っていて、売り場にはもう一つしか残されていなかった。いや、正確には目の前で一枚持ち去られたから残り一つになったと言うべきか。

午後5時過ぎの時点で残り一つになったピザ。だんだんとピザが可哀相に見えてきた。あと数時間も経たないうちに処分されてしまう大きなピザ。朝はあんなにたくさんの仲間と一緒に並んでいたのに、たまたま一番下に居たせいで君だけ売れ残ってしまったなんて。ここでぼくが買わなかったら、有象無象と一緒にポリ袋に詰められ翌朝のゴミ捨て場に並ぶんだろう。

数分後、ぼくは大きなピザと横に置いてあった同じく大きなティラミスを両手にスーパーをニコニコで後にした。幸いお腹は空いているし、ピザは食べきれなくても翌朝温めれば食べれるだろうし。ティラミスはよくわからないけど甘いから好きだし。バスに乗るほどではないけれど相当に遠いスーパーで買ってしまったから、家までの道のりは30分近くかった。練習帰りにこの大荷物はしんどい。

さてその夜、見事に一枚のピザはお腹に収まっておりました。自分の顔と同じくらいの熱々のピザを口いっぱいに頬張れるのは幸せだ。横にあるタバスコをこれでもかとピザに振りかけて味の変化を楽しむこともできるし、素材の味を楽しみたければそのまま食べることもできる。ピザで頭がいっぱいになってたからビールを買い忘れたのが痛かったけど、きっとビール飲んでたら食べきれなかったからヨシ。大きなピザが入っていた段ボールは小さく折りたたまれて翌日のゴミに出すとしましょう。さてティラミスも食べますか、といったあたりでとても眠くなり、なんと9時半に寝ました。

朝起きるとチーズの付着したピザの箱、中身の残ったマグカップ、ピザの脂の付いた日経新聞、ありとあらゆるものがそのまま保存されていた。祭りの後というか、楽しかった昨晩の思い出のようなものが残されていた。そうしてぼくはティラミスを少しだけ気分が悪くなるほど食べてからワイシャツに袖を通し、当日着任予定の新人はどんな人だろうかと思いを馳せながら歯を磨いた。そうしてジャケットの上からマウンテンパーカーを羽織って、しばらく手入れしていない革靴を履き、鍵と定期を確認して家のドアを開けた。今週もやるしかない。

ないものねだり

昔から兄弟でいろいろと比較されてきた。身長、体重、友人の数、学校の成績、趣味、その他諸々。そのせいだと思うが、ぼくは家族に対して誰一人として良い感情を持っていない。常に社交的な弟と比較され、尽く卑下されてきた。23年間も。そのせいで実家の居心地は最悪だった。そう、なので大阪に来てからはそういった人たちと地理的に距離を置けて、心の底から実家を離れられてよかったと思っている。もう二度と帰りたくない。

そもそもいくら兄弟だろうと別の人間なんだから比較することは止めるべきで(とは言うものの確かに社交的なことは褒められることだろうけど)、非社交的な人間に対してもっと弟のように社交的になれと叱りつけるのはナンセンスだ。別の人間なんだから。家族の誰がどうなろうが(生きようが死のうが)ぼくの人生には関係ないことだ。たまたま血の繋がり「だけ」を拠り所にして同じ家に住んでいた人間同士なんだから。そもそも家族同士が仲良くしなきゃいけないなんて法律は無い。家族の絆を強要するな。

隣の芝生は青い、という表現をよく目にする。自分と違う環境に生きる人のことが羨ましくて仕方なくなるアレだ。どこまでいっても、結局人は他人と比較することからは逃れられないんだと思う。上に書いたような生育環境のせいかは分からないが、ぼくは強烈な劣等感を常に感じながら生きている。手に入らなかったものを数え、自らの欠点を他人と比較し、あのとき行動しなかった自分を呪い、誤った行動をした自分を呪っている。自己肯定感を高めることは非常に困難だ。どうしたら幸せになれるのだろう。

ひょっとしたらぼくには優れた点が一つくらいあるのかもしれないと考えることもある。しかし世の中は広く、ぼくの上位互換がありとあらゆる場所に存在していることを目の当たりにした瞬間、やはり自己評価は地に落ちる。他人は他人、自分は自分とわかってはいるが、しかし比べることを止められない愚かさ。きっとぼくは何を手に入れても何を成し遂げても幸せになれないんだ。

情報化社会は人の欲望を刺激し、容易に心の奥に潜む劣等感を逆撫でする。格差が可視化され、所詮自分はお山の大将だということを気付かされる。いくら金を稼いでも不労所得で生活する人を見ては労働者という身分を嘆き、不労所得で生きる人は生きている実感の無さや労働の歓びの無さを嘆くだろう。嘆かないか。

幸せになりたい。

早起き feat.江戸時代

平日は6時半から7時の間に目を覚まし、とはいえこれは出張先のホテルに宿泊している場合は除くのだけど、8時15分前後に会社に到着する。一方の休日は朝から予定を入れていることは無いと言っても過言ではなく、結果として9時頃に目を「開ける」ことも多い。でも無理矢理予定を入れればちゃんと起きれる。

「早起きは三文の徳」という諺がある。既に室町時代後期には似たような表現が確立されていたらしい。実際に世間的に広く使用され始めたのは江戸時代の寛永*1だとか。寛永期には庶民(=ここでは江戸に準ずるような大都市の職人や商人のこと)の生活は相当の朝方であり、日が出る頃から働き始めて昼過ぎには仕事を終えるといった、現代の日本人からしてみれば羨ましいようなそうでないような働き方をしていたことはよく知られている。今でもドヤ街では見ることができる朝のあの風景*2、つまり日雇いの人間をその日の朝に確保するという習慣もこの頃から始まったという。

親方としては想定していた人数ちょうど集まるのがベストで、労働者としてはなるべく晴れて*3そこまで暑くない日に生きるのに必要なだけそこそこ働きたい。いつの間にか両者を仲介するための業者が現れた。今日のリクルートのような存在*4だと考えて良い。リクルーター

  • 当日の天気(前日の空模様から想定)
  • 労働者の体調(朝起きて確認して回る)

  • 当日の報酬額(幕府関連の仕事は比較的高収入だとか)

  • 当日の想定労働時間(前日に現場を視察&親方に確認する)

という点を確認するため、まだ日も出ていない時間から走り回ることが必要だった。しかし彼らの存在によって、親方も労働者も必要以上の心配をしなくて済むようになった。リクルートはその働きを認められて、親方から金を貰って労働者を集めるようになった。しかし不思議なことにリクルーターが労働者1人を集めることで親方から渡される手数料は約30文*5だった。興味深いことに「早起きは三文の得」の三文は、「労働者が手にする金額」であったことが近年の研究で判明している。

つまりどういうことか。親方からリクルーターへ渡る30文のうち、リクルートはまず

  • 求人業務の下請業者を募集し、1人獲得する毎に10文を下請へ渡す
  • 次に下請業者は上記の4点を朝方から確認、さらに自分を通せば一日あたり3文余分に賃金を得ることができることを説明する
  • 結果として職人は当然リクルートの下請を利用し、親方リクルート下請け業者労働者皆幸せ

という事実があった。つまり「早起きは三文の得」はあくまで我々労働者の目から見た風景であり、リクルートや下請は労働せずにそれ以上の収入を得ており、まるでどこかで見たことのある構図が寛永期には既に出来上がっていたことに驚きを隠せない。

そう、こんなことを考えていたらもう8時だ。7時過ぎから書き始めたのにあっという間に時間が経ってしまった。マジでブログは時間の無駄だ。もっと有意義に朝を過ごしたいのですが、どなたか有意義な朝の過ごし方を教えていただけないでしょうか。

*1:「そばと早起き 江戸の庶民の金銭感覚」民明書房 鈴木輝彦著

*2:釜ヶ崎の朝」 六波羅短大出版 芦屋悟著

*3:晴れた日は気持ちが良いので

*4:当時は裏括:りくると呼ばれていた。表立って募集している求人含めありとあらゆる求人は、ほぼ裏括が仲介していたとの考えもある

*5:「裏括の謎」 民明書房 荒川洋平著

髭剃り

朝起きてバタバタしているときに急いで髭を剃ると、剃り残しがあったり逆に剃りすぎて流血沙汰になることが多い。とはいえ髭剃りのためだけに朝早起きするのは性格的に不可能なので、とりあえず時間のある前日夜に風呂で髭を剃ることにした。

今日の風呂は最高だった。入浴剤を買ったのでこっそり使おうと思い風呂場に持ち込んだんです。とにかく濃い色を作りたかったので、洗面器に少しだけお湯を入れてそこに入浴剤を落とすことにした。細かな泡が弾ける音と同時にお湯がどんどん濃い紫色に染まっていく。それを風呂水の上に浮かべて楽しんでいた。アメジストみたいにきれいな色になったお湯を風呂桶の中でくるくる回して匂いを楽しむ。やっぱり濃い色の水は見ていて楽しい。小学生の頃に色水を試験官に入れてコルクで蓋をして、並べてずっと見ていた記憶がある。

そうだ髭剃りの話だった。風呂に浸かっていると髭が柔らかくなるようで、まずはシェービングクリーム代わりの石鹸を泡立てたものを頬から顎にかけて塗りつけて、次に肌を傷めないように丁寧に髭に剃刀を当てる。Amazonの履歴を見る限り、両刃の剃刀を使い始めてかれこれ半年が経つ。最初は2日に1回くらい血を流していたけれど、風呂で剃り始めてからは1週間に1回出るか出ないかという頻度に落ち着いている。両刃剃刀は丁寧に使えばとても深剃りができるので、翌日の夜まで髭を意識せずに生活できる。

今朝は7時に目が覚めた。遅くとも12分後には家を出ないと会社に間に合わない。3分くらいベッドでうにゃうにゃしていて自分に発破をかけた。幸い会社には間に合い、美味しい昼飯を食べることができたので総括すると比較的幸せな一日だったと思う。今週末、「翔んで埼玉」を見に行ければそれはもう幸せな週になると思う。できれば一生幸せでありたいんだけど、幸せになるためには何をすればいいんでしょうか。

ここのところ寒い日が続いて

おかげであまりパソコンに向き合うことなく、手元の日記に日々のあれこれを書き込むことが増えた。日記帳というより分厚いノートだけれど、A4サイズのノートはパソコンより持ち運びがしやすいのでどこへでも連れていける。誰に見せるでもない自分のためだけの日記は字が汚いし書いてあることも支離滅裂かもしれない。でも日記ってそのくらいが丁度良いと思うんだ。

今日は正午過ぎから灰色の空へ変わってしまった。午前は陽の光が暖かかったのに。けれど晴れている気持ちの良い時間帯に2冊、気になっていた本を読めた。向田邦子の「父の詫び状」、それからキッチンの設計に関する本。いつか自分の家を建てる機会があれば、料理がしたくなるようなキッチンにしたいとぼんやり思った。料理はとりわけ得意なわけではないから、少しでも料理に対する気持ちをアゲられるキッチンだといいよね。

会社の同期が一人抜けるという話を聞いたのはつい先日のこと。ついに大卒総合職から一人がよそへ引き抜かれてしまった。職場は離れていたし、研修中に話すこともなかった彼だけど、自主都合で退職することを知った瞬間はショックを受けた。会社を辞めるということは相当大きな決断であることは間違いないし、現在の職場の環境、待遇その他諸々を転職先のそれと秤にかけて、今の会社を辞める決意をしたんだろう。

自分の人生のこれからと家族の人生のこれからを考える。父親は定年を迎え、ぼくはそろそろ4年目へ突入し、それほど高くない給与もほんの少しだけ来年4月から上がり、おそらく変わらないであろう職場へこれからも通い続ける。技術担当は基本ずっと工場で、我々営業部隊は全国津々浦々を転々とする生活を今後40年強いられる。納得のいく人生になるといいけれど。

最近Kindleが欲しい。Kindleには無限に活字が入るけど小さくて軽いので便利だ。昔は頁を捲る感触が味わえない電子書籍なんて使わないよなんて粋がっていた。けれどあれから身の回りにiPadのようなタブレットが普及し、思っていた以上に自然に読めるように進化してきたのを見て考えを変えた。近いうちにKindleを買うことになると思う。いろいろな書籍の他に漫画、雑誌を詰め込んで出張に持っていこう。新幹線の移動時間、寝る前のちょっとした時間に(手元に本がなくても)好きな本を読めるなんて便利な時代になったね。

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河原町付近 X-Pro2+SuperTakumar 35mm f/3.5