大阪生活

大阪生活の記録

ラーメンを作った話

麺は冷凍、それ以外は自作してみたという話です。

まず昨日買ってきた塊肉を用意します。冷蔵庫に入れていたのでよく冷えています。肉の大きさを目に焼き付けます。重量感のある美味しそうな肉です。

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次に醤油750mlに料理酒100mlくらいを行平鍋に注ぎ、ゆっくりと塊肉を沈めます。

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半身浴みたいですね。どこかリラックスしているように見えます。次に葱と生姜を鍋に入れていきたいと思います。

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どう見てもギリギリですので、醤油を100mlほど他所へ避難させました。そしていよいよ加熱していきます。どうなるんでしょうか。

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ギリッギリというか、若干醤油が吹きこぼれているのが見えると思います。ちゃんと後片付けは終えましたのでご安心ください。沸騰したら火を弱めて1時間ほど煮込みます。チャーシューは問題なさそうなので、次にラーメンのスープに取り掛かりたいと思います。鍋に冷蔵庫で解凍した鶏ガラ7,8個、葱、大蒜、生姜を入れて火にかけます。

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いい感じですね。アクがたくさん出るのでどんどん取っていきましょう。そうすることで雑味のない透明なスープが出来上がります。鍋と向きあうのです。

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アクを取りすぎた結果、びっくりするほど量が少なくなりました。こんなことある?味見したところそれなりに濃厚なスープになっていたので、ええいと200mlほどお湯を加えました。嵩増しされたスープを前にしていると、本当にこれで良かったのかという疑問が湧いてきましたが後戻りはできません。さあ、いよいよチャーシューを引き上げてみましょう。

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ああ、これは間違いなく美味しいチャーシューです。旨味がギュッと凝縮されている様子が見て取れます。脂と肉が交互に重なっている、ミルフィーユのようなチャーシューが出来上がりました。さあ、チャーシューを茹でた醤油を丼に垂らし、そこに鶏ガラのスープに煮干しで取ったスープを加え、麺と葱の輪切りを乗せ、最後にチャーシューを乗せましょう。ついに完成です!

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クッソ地味な見た目でした。スープは普通に美味しかったですが、実に普通のスープでした。あまりコクがあるとは言えず、あれだけ苦労して取った鶏ガラスープが煮干しスープに完全に負けていて、費用対効果が……。一方のチャーシューは味が思ったほど染みていませんでしたが、醤油と触れていた外周部は最高にいい味してましたし、脂もトロットロで幸せでした。

次回は、1.鶏ガラスープを生かしたスープにする 2.チャーシューの茹で時間を20分ほど長くする 3.トッピングの見栄えを考える の3点に気を遣っていきます。

台風の日にはコロッケを、雨の日にはラーメンを

家に冷凍された鶏ガラが届くと知ったのは昨日のことで、折角の機会なので鶏ガラをベースに醤油ラーメンを作ってみることにした。ついでに最高のチャーシューも作ろうと意気込んで会社帰りに1000円くらいの塊肉を買ってきた。これだから男の料理は原価が高いと言われるんだと納得した。塊肉の他には生姜とネギ、それに醤油を750ml。製麺機の導入は大袈裟なのでまず初回は冷凍麺で勘弁してほしい。

買ったものは平らでミルフィーユみたいに脂と肉が交互に重なっている豚肉、緑の割合が普通より多い葱、生姜1パックとキッコーマンの醤油750ml。行平鍋の中で全てを茹でてチャーシューは作られる。鶏ガラはお湯で臭み?を取って生姜と葱と一緒に茹でて出汁を取るとどこかのサイトに書いてあった。チャーシューの作り方はラーメン屋の店主が言っていたので間違いは無いと思う。スープはもう一度文献を漁る必要があるけれど、材料的に塩分の量を間違えなければ失敗はなさそう。美味しくできたら嬉しい。

政府から10万年支給されたらしたいこと

ある文明の重要な局面でその都度顔を出し示唆を与え、文明の神になりたい。10万年もあれば数多くの文明が興り、滅亡していくだろうし、そもそも人間という種の進化や衰退でさえ目の当たりにすることができる。文明から文明へ語り継がれる存在、幾多の文明が滅びつつも口伝で残されたノアのような人物、もしくはサンジェルマン伯爵のような存在だろうか。政府から10万年、1万年でも支給されたらこういうことがしたい。

ゆっくりと確実に

経団連に加盟している弊社は鶴の一声には逆らえなかったようで、出社率を3割以下に抑えるよう上層部から通達があった。早速その日のうちにシフトが組まれ、出社は週に二日未満となった。このまま完全ペーパーレスに移行してしまえば出社する必要がなくなるので、もう少し弊社には本気を出してほしいと思っている。

弊社は社内サーバーに接続するのにVPNを使っている。突然在宅勤務が導入されたため、通常では考えられないほどの負荷が発生し、恥ずかしながら50kbps程度の回線速度で業務をせざるを得ない状況にある。これは死を意味する。とは言え午後になれば通信量が落ち着くためか200kbps前後まで復活し、17時過ぎには1Mbps程度となった(とは言え十分遅い)。弊社のシステム部門を担う子会社は早急に対応すべく必死で動いているが、ある程度落ち着くのに半月ほどかかる見通しらしい。そりゃそうだよな。

非常事態が起きても(後手後手ながら)対応できるのは会社として立派だなと思った。工場を数十個抱えるような企業、それも創業してから一世紀をゆうに超えるような歴史と意味不明なしがらみがある中、在宅勤務を導入できる点は見直した。あまりにも昔からの風習を尊重しているように見えても危機的状況に直面すれば変われるんだなと思った。絶対に変わらないと思っていたことも、ゆっくりと確実に変わる姿を眺めるのは感慨深い。

とは言いながら、特に弊グループにはもう見切りをつけているのでそう遠くないうちに離脱するはずです。次の場所はもう少し柔軟な勤務体系だと信じたい(まだ全然決まってない)し、そういう場所に行きたいと思っている。

今まで寝たことのある場所

▲友人宅

学生時代は横浜(横浜国立大)、八王子(首都大学東京)、つくば(筑波大学)、秋田(秋田大学)など。彼らの家ではアニメを見たり料理をしたり、深夜徘徊したり夜通しTRPGに興じたりした。横浜と八王子は相当な頻度で通っていた気がする。

▲部室

複数のサークル?を掛け持ちしていた上、「ソファ同好会」と呼ばれるくらいソファが沢山ある部室を一つ持っていた。昼寝をしたり映画を見たり、鍋を楽しんだこともあった。寝心地の良いソファでは何回も寝た。楽器もゲームも食べ物も沢山あって幸せな空間だった。

▲カプセルホテル

昔のカプセルホテルは男性専用であり、薄暗く独特の雰囲気があって嫌いじゃない。立地と価格面で非常にありがたい存在であり、また最近はお洒落なカプセルホテルも増えてきており、ちょっとした旅行であれば普通に使ってしまう。隣の人の寝息や部屋の狭さに耐えられるのであればベストな選択肢かもしれない。

▲学校の廊下

ゼミ合宿の後、気づいたら廊下で寝ていた。夏だったのでそこまで寒くなかったが、身体は少し痛んだ。

丸亀市の河原

友人とヒッチハイクでたどり着いた香川県丸亀市の「がもううどん」をたらふく食べたのち、持っていたウイスキーを飲んで河原で寝転んだ。日差しは眩しく、皮膚がチリチリと痛んだがとても気持ちの良い時間だった。数時間昼寝していたようで、顔や腕が赤く腫れた。

▲日雇い労働者向けの宿

一泊1500円、本当に古くて薄暗い宿に泊まったことがある。部屋には変な虫がたくさんいて冷房はうるさい割に全く効かない。風呂は10センチくらいしかお湯がなかったが、部屋はそれなりに広く(鍵はかからないが)部屋と廊下を仕切るための扉があってプライベートは確保されていたので良かった。

寝台列車

東京駅からサンライズ瀬戸に乗り込み、徐々に暗くなっていく風景を車窓から眺めた。シャワーを浴びてロビーでスーパードライを飲み、数十分間ぼんやりとした後、岡山で下車するために布団を被った。無事岡山で降りられたのでよかった。他にもニューデリーからアーグラーに行くための寝台列車は凄くて、一番下の段のベッドだと(自分の場所を主張しないと)勝手にインド人が座ってしまう。足と手を広げて「ここは自分のスペースだぞ」と主張し続けなければいけない代わりに、目的地近くで起こしてもらうよう頼めばちゃんと起こしてくれる。

▲高架下

諸事情あって住む場所がなくなったとき、真冬なのに高架下で寝た。コートを着た上から段ボールに潜り込むと風がシャットアウトされるため思ったほど寒くなかったが、5時前に地表から来る冷気で目を覚ました。否応なしに大学の部室棟のシャワーを浴びて命拾いをした。

▲マンションの階段下の窪み

寝る場所を求めて深夜の街を彷徨い、比較的風の当たらない場所が階段下のスペースだった。奥まったところで身体を丸めておけば寝られないこともなかった。高架下よりは安心感があり、また深夜なので人の出入りも少ないことから朝方まで目が覚めることはなかった。冷えて硬くなった身体は、同じく大学のシャワーでなんとかした。

▲公園の茂みの中

季節は秋、警官が見回りに来るので見つかりにくいであろう茂みの中で身体を横たえる。木の根が身体に痛いので下に洋服を一枚敷くと幾分楽になる。外気と直で接するため、寒い季節にはお勧めできない。

▲バーのソファ

赤坂でピアニストをしていた頃、朝四時に店が閉まってから大学までの数時間はよくソファで寝かせてもらっていた。ヤクザみたいな人もいないわけではなかったけれど、基本的に我々には普通に接してくれるので助かった。お酒が飲み放題だったから普通に楽しい仕事だったし、朝の赤坂の空気は変に澄んでいて好き。

▲総括

今では大概どこでも寝られるようになった。

いちや、という店

江古田という西武池袋線の小さな駅はぼくの大学の最寄駅で、ピアノを専攻していた学生だったぼくは4年間足繁くそこへ通っていた。駅近くには喫茶店やラーメン屋、大盛りを売りにしたいろいろな学生向けの店があって、決して少なくない金を駅の半径数百メートルで使ったはず。

それなりに繁盛している「三四郎」という店はぼくが最も通ったラーメン屋で、週に一回は食べに行っていた。けれど実はその前、三四郎という店ができる前にあった「いちや」という店こそぼくの一番お気に入りの店だったことを記しておきたい。

いちやは2012年、本格的な冬を迎える前に突如として閉店してしまったラーメン屋で、本当に普通の醤油ラーメンを出していた。ただとても麺が美味しくて、それ以上に青唐辛子の佃煮が美味しかった。冬場は隙間風が吹き込んできて店内は薄寒く、大鍋から濛々と立ち昇る湯気で窓はいつも曇っていた。最終日には確か社会人になったOG達と喫茶店?部室?で駄弁った後、たまたま線路の向こうに人がたくさん並んでいるのを見かけて入店できたんだ。開店当時の味を再現したらしいが、普段食べていたラーメンの方が美味しかった気がする。

先輩のお気に入りだった「破顔」、後輩の好きだった「パンコントマテ」や「砂時計」、ゼミを抜け出して本を読んだ「林檎」、まだ雑居ビルの地下にあったときの「もるとや」、夏には「冷たい塩らは」が美味しい「ヤマン」そして「いちや」「三四郎」。思い出の街はきっとこれからも少しずつ姿を変えていくんだろう。まだ思い出の残っているうちに再び足を運びたいね。